テクノロジーを手放す暮らし
しばらくの間「テクノロジーを手放し、暮らすこと」を実践していたこともあって
このblogもご無沙汰しておりました。
だから未だにスマートフォンを使わず、出来る限りは車を頼りとせず歩き、
携帯ですら旅に出掛けている間は眠らせ…..
とにかく風通しのいい場所に身を置いて日々を過ごしていた。
けれど、そんなことを誰かに伝えて始めたわけではなかったので、
「津田さん、最近どこにいますか?」というメールをもらったりして、
「あっ、今は日本にいますよ」という感じになってきていて、
そろそろ色々と報告もしてゆかねばと思っています。

とはいうものの、随分と時間が空いたのでどこから書こうか。
前のblog以降のことで言えば(春以降は)、5〜6月はリトアニア、ラトビア
辺りへ行っていた。
7月には福岡で初のトークイベントを開催。本当にたくさんの方が集まって下さった。
感謝しています。何と言ってもイベント後、残ってくれたお客さん達と話が盛り上がり、
お店を出たのが朝の3時頃だったことが思い出深い。
おまけにそこで出会った人達と日をあらため久住へ夏登山にまで行ってしまった。
今思えば、最近まで続いているキャンプ生活はここから始まっている。

8月は沖縄の離島でフィールドワークの続きを行った。
前から沖縄のお盆行事には興味があって、ようやく今年は島の人々の協力を経て
見せてもらえることになった。こちらは新聞記事として少し書かせてもらった。

続けて今夏はアーティスト・イン・レジデンスでスイスに滞在することが決まって
いたので、8月末くらいから一ヶ月はスイスのヴァレー地方にて滞在制作を行った。
このプロジェクトについては今後どういった形で発表にしてゆくかを現地と
相談しているところです。
基本的にはスイス側から助成金をもらっているレジデンスなので、
スイスで展示を行うのはほぼ決定だと思いますが、出来れば国内でも
発表する機会を設けたいと思っている。
まだ出来るかどうか分からないけれど。進展があれば、報告します。

9月〜10月にかけてはグループ展の参加が立て続き、塩竈フォトフェスや
GSS展などで展示。
海外では、国際交流基金主催の展示がエストニアとタジキスタンで
それぞれ開催された。
このグループ展はまさしく旅する展覧会のように作品が世界を移動中。
今後もまだまだ続きます。現在はクロアチアにて開催中。

そして10月19日に那須で個展「NORTHERN FOREST」オープン。
正直、旅から旅の日々だったので、よく制作が間に合ったなという感じだった。
暗室のプリントワークから額装、搬入、展示までどこかでスケジュールが
少しでもずれ込んだら無理だっただろう。焼師や職人の方に感謝。
ちなみにオープニングではノルウェーの友人が柳で作られた笛を吹いて
くれたりして、ラップランドの風を思い出したりした。

個展オープン翌日からは再び海外へ。
3度目のブータンへの旅。
今回計画していた旅のルートはなかなか過酷なロング・トレックだったので
準備にはそれなりに時間が掛かったけれど体調万全で出発。
しかし現地ではかなりの人力と馬力が必要だったので、ブータン到着後
ジョモラリ(聖なる山)の望める麓からはガイドとコック二人、
馬11頭(正確には馬とラバを混ぜて)と馬使い、アシスタントという編成で再出発。
小さいながら、キャバンを組んだ状態だった。
撮影は標高5000M峰を越えながら移動の日々。
電気も飲料水も確保し難いヒマラヤの峰を望みながらひたすら歩んでいると、
一日の長さが意外と長い。零下のテントで寝転がりながら、夜は読書が進んだ。
朝の眩しさは太陽が戻ってきた温もりそのものであって、テント越しに
光線で身体をほぐし過ごした。
滞在そのものは18日間だったが、体感としてはスイスの一ヶ月に
劣らないものが残った。
ここで撮影した写真については、来春には東京でその一部を見せることが出来ると思う。
まだ告知は出来ないけれど、春へ向けて企画が動きつつあります。

かなりざくっりとした近況報告になってしまったけれど、今は東京に滞在中。
あっ、正確にはあと数時間でまたヒマラヤのブータン王国へ発ちます。
急な話ですが、特別なビザが取れたこともあり、撮影の続きを。
どうやらそろそろタイムリミットとなるので、
最後に前回のブータンよりスナップをお届けします。




2013.11.19 Tuesday │ Life/Residence
九州発〜春風
夕方から自転車に跨り出掛けた。
ソメイヨシノや枝垂れ桜はすでに散ってしまったけれど、
八重桜が見事に花を咲かせ、福岡城跡お堀沿いの道では
時々花吹雪が舞い、春風が気持ち良い季節になってきた。

今はしばらく続いた移動が一区切りして、福岡に戻っている。
だから日々の移動は自転車だけというシンプルさ。
こういう平坦な場所で暮らすのは、学生時代に大阪で暮らして以来かもしれない。
新鮮さはまだ抜けそうにない。

さて、少し時間が空いての更新となってしまったので、
ここ一ヶ月くらいの話をまとめて書きます。
3月中旬からは2週間くらい原稿書きに追われていたという感じだった。
その間も東京を往き来し国内移動が続いていたので、
まるで移動式のオフィスのような状態で定宿に籠もったりしていた。
だから時々、今いる場所を忘れてしまうことがあった。
きっと頭の中ではまだミャンマーや奄美などを旅しているのに、
身体は東京に在ったりするので、その空間移動にずれが生じるのだろう。
そんな時は食事の時間が大事で、そこでバランスを取り続けている。

旅を終えると、数日の間に機材チェックや装備のメンテナンス
をする癖がついているけれど、3つくらいの移動が重ってくると
仕事場はさすがに散らかってくる。
足元には泥の着いたトレッキングシューズやアウトドアーアイテム、
トランクやキャリーバッグが数個、洗濯を待つ服の山、読みかけの
新聞や本の束、各地域の地図や資料、届いてまだ封の切られていない郵便、
未現像のフイルム、ベタ焼きなどが散在している。
そこから手始めに、メモ書きをまとめる作業を出来る限り
早い段階で進めて、原稿を書き始める。
合間でインタビュー取りが入ってきたりするけれど、
話をすることで頭が整理させることもしばしばある。
とはいうものの、書き仕事は得意な仕事ではないので、
縄文フィールドワークで能登半島を訪ね歩いた。
(次号の「PAPER SKY」にて掲載予定)
やはり、空の下で写真を撮り、世界と触れ合うのが性に合っている。

そう言えば、ここ一年くらい向き合ってきたことについて、
現在発売中の「考える人」2013春号(新潮社)に原稿を書いた。
なぜ拠点を九州に移したのか、「現代」をどう捉えているのかなどについて。
興味がある方は是非読んで下さい。小林秀雄特集も面白いので。

また最近は熊本が身近になったこともあり、3月下旬には熊本県南関町で
開催された「はるかぜ2013」というロックフェスへ遊びに行った。
ラキタという沖縄と縁の深いミュージシャンが参加していたこともあって、
応援しに行ったのだ。
このフェスというのはミュージシャンの平井正也さんが中心となって
日本各地のミュージシャンに声を掛け、賛同し参加してもらい、
地元企業などに協賛を募り開催されている。
文字通り手作り感たっぷりの野外フェスなのだが、平井さんの人柄
あってこそ実現できているイベントで、その熱意がこっちまで伝わってきた。
2年前には東日本大震災によって多大な被害を被った福島県いわき市にて
開催をしているが、今年は被災地でライブを行うのではなく、
福島から子供達を招待するなどして熊本での開催に漕ぎ着けたという話を聞いた。
その背景には、「普段、思いっきり外を走り回ることができないでいる
福島の子供達に、熊本に遊びに来てもらい、安らぎと喜びを渡したい」
との思いがあったようだ。
暖かい陽射しの下、音楽に抱かれながら子供達は草の斜面を走り回り、
いわき市から駆けつけたミーワムーラの歌声が夕方の空に響き渡った。

4月に入ってからも再び制作や打合せなどで東京滞在が続いた。
次々に上がってくる校正や色校チェックなどで、日々目まぐるしかったが、
ひととき都会の喧騒を抜け出し展覧会を幾つか観に出掛けたりもした。
なかでも素晴らしかったのは、国立科学博物館にて開催中の
「グレートジャーニー・人類の旅」展
会場は春休みの子供たちで賑わっていたが、関野吉晴氏
(探検家・医師・武蔵野美術大学教授)の成し遂げた、
壮大な旅路を展示と共に辿って行くと、血が騒いだ。
この展覧会には「この星に、生き残るための物語」と副題がつけられている。
それは6万年前から歩み始めた、「人」の歴史を辿る果てしない旅なのだが、
我々がどのようにして「ここ」まで歩んで来たのかを、
現代社会のつくった物差しではなく、それぞれの大陸や島々に生き残った
先住民族の生活、知恵、生き方から読み取ってゆくというもの。

その他、最近観た展覧会、映画で記憶に残ったもの幾つか挙げておきます。
◎展覧会
・上田義彦展「M.River」 会場:Gallery 916
http://www.gallery916.com

・「パラの模型/ぼくらの空中楼閣:パラモデル」展 会場:メゾンエルメス8階フォーラム
http://www.art-it.asia/u/maisonhermes/?ca1=2

・ 植田正治写真展 会場:BEAMS FUKUOKA
(便利堂が制作をしている「遙かなる日記」をはじめ、コロタイプの
オリジナルプリントが絶品だった)
http://www.beams.co.jp/news/detail/1305

◎映画
・「The Lady」(リュック・ベッソン監督作品)
(現在27年振りに来日中のアウンサンスーチー氏の半生を描いた映画、スーチーさん来日直前に渋谷のTSUTAYAで借りてやっと観れた)
http://www.theladymovie.jp

その他、近いうちに日程が合えば、「ソフィ・カル展」原美術館(東京)、
「京都グラフィー国際写真フェスティバル」(京都)を観に行きたいと思う。

最後に、今年2月にミャンマーで撮った夕陽を一枚。
2013.04.16 Tuesday │ Life/Residence
2年の歳月の先で
東日本大震災から2年となる、2013年3月11日。
この日は仕事の手を一旦止めて、「今を」そして「これからを」考える一日に
しようと思い過ごした。
福岡は朝から陽が差し天気が良く、東北に比べると気温も上がり暖かい日となった。
普段は見ないテレビをつけ、新聞を二紙買ってそれぞれ目を通す。
震災後2年を迎えた各地の現状を伝える映像は、各市町村それぞれで
難航している復興状況を報道するとともに、人々のまだまだ癒えぬ傷の深さを
十分に感じさせるものがあった。
その中で奮闘する人々の顔は実に様々だったが、たくさんの声とともに
その姿を見ることができたのは良かったと思う。
変わり果てた光景をただ遠くに眺めるだけの日常では、
そこに暮らす人々の今日は見えてこない。
だが、想像の及ばないような陰はもっと奥に潜み、人々を苦しめているに違いない。
その不安と不満の入れ交じった何とも言えない、人間の表情こそ
「今を」物語る現実の姿であり、僕たちが想いを寄せなければならない
場所の一つだと思う。
僕は個人的に被災した経験のある神戸とその復興の日々を思い出しながら
東北の「今を」想った。
そして、ここからどの程度のことが見えているのだろうかと
あらためて自分を疑ってみたりした。

話は少し遡るが、その二日前まで僕はフィリピンに滞在していた。
開催中の展覧会に合わせ開かれた講演会のためにマニラへ出向いていたのだ。
およそ二時間に渡るトークを写真評論家の飯沢耕太郎氏と二人でおこなってきた。
その主旨は、震災以前の「東北」を語るというものだった。
言ってみれば大震災以降「東北」とは、傷ついた町のイメージばかりが
世界に届けられてきた訳だ。
けれど、それではその土地に生きる人々の本来の姿が伝わらなくなってゆくのでは
との懸念から、国際交流基金が主催している海外巡回展「東北―風土、人、くらし」
が立ち上げられ、僕も参加している。
この展覧会は昨年度のローマ展、北京展を事始めに、オーストラリア、中国、
マレーシア、インドなどの各都市をすでに巡り、現在はフィリピン国立博物館にて
今月の17日まで開催されている。




3月9日に開催されたトークイベント会場では、マニラの若き学生達にも
たくさん出会い歓迎を受けた。
限られた時間ではあったが、縄文文化や古来より受け継がれている習俗などを
スライド投影しながら紹介し、「東北」の底力を知ってもらう良き機会となった。
トーク終了間際には、多くの質問が寄せられたこともあり、
こちらも言葉に力を込めることができた。
その後も温かいメッセージを届けてくれたフィリピンの皆様、ありがとう。
又、必ず会いにゆきます。

この10日間を振り返っても奄美大島、沖永良部島、東京、マニラ、
そして福岡とかなりハードワークとなったけれど、南方の取材は来月くらいには
ウェブや誌面でまとまって記事として上げることができると思います。
お楽しみに!
2013.03.14 Thursday │ Life/Residence
拠点を移して
相変わらず動き回って2月が風のように過ぎていった。

西国では琵琶湖に浮かぶ島の取材へ出て、船旅にはまだ寒さが
残っていたが、海風が忘れかけていた風景を思い出させてくれた。
近江は夏の風物詩も良いが、湖東の冬は北国にも似た地域がいくつもあり
雪深く好きだ。だが暮らすとなるとそれなりの知恵と覚悟が必要だろう。
自転車でJR木ノ本駅周辺を走り抜け、古き町並みを横切り、
山へと続く道は抜けが良く心地よかった。
こういうところに差しかかると必ず神社の鳥居が見えてくる。
聖なる大地は昔も今も変わらない。
この辺りの集落には密やかに祀られている十一面観音像が
いくつかあり、以前から訪れたいと思っていた。
文字通り、人々の手によって守られてきた仏像は、時には災難から
逃れるため土に埋められ、時と共に再び光の差す場所へと戻され残った。
神仏から伝わる特有の安堵感は、そうした波乱と隣り合わせに
生きた証によるものだろうか。

仏像を前に目を閉じ、身を出来るだけ小さくし、山から降りてくる
風の流れに従い全身の力を抜く。
するとあたらしい命が身体に吹き込まれ、気が漲ってくる。
こうして力を頂き、日常に帰る。

今日では東から旅に出ても、多くの人々が湖国を知らぬ間に通り抜け、
京都に辿りついてしまうが、近江の懐に一度入ってみてはどうだろう。
案外、未だ見ぬ日本の原野が広がっているかもしれない。

仏像を案内してくれたあるお婆さんはこんなことを言っていた。
「井上靖さんが、良く訪ねに来てくれはってね。まぁ、いつでも
初めてお会いになるような眼差しで拝んでおられましたわー」と。

帰り道に橋から川を見下ろすと、雪解け水で勢いついた川は暴れて
白く濁って見えた。だが平野へ出ると衣変えしたかのように水は透き通り、
さっき見た景色はもうすでに遠くへと流れて去ったかのように澄み渡っていた。

東北へも出掛け、洞窟を訪ねた。
しばらく空気の流れない土の下へくぐってゆくと、
動物の腹の中を歩んでいるような不思議な錯覚が起きた。
地上に戻ったら、いつもならば気がつかない土のにおいがじんわりと
鼻に届き、太陽がいつも以上に眩しく、空気は数倍も美味しく感じられた。

洞窟と言えば、3.11から一年を迎える節目には前から映画を
見ようと決めていたので、ヴェルナー・ヘルツォーク監督によって
その姿が明らかとなった南仏のショーヴェ洞窟を記録した映画
「世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶」を観に行った。
この日には、どうしても人間が古代に描き残した美しい絵画を見たいと
思っていたのだ。だが理由などあってないようなものだ。
とくかく素晴らしい作品と出会い今日を見つめ直すきっかけを
持とうとだけ願って出掛けた。

その他、月末には大きな出来事がいくつか続いた。
11年暮らした横浜から九州に引越したこともその一つ。
かなり突然の決断だったので、こうして驚かすような告知と
なってしまったが、引越しの季節はいつでも嵐のようにやってくる。
僕らしいと言えばそれまでだか、思い切って基盤を変え、
あらたなる旅へ出ようと思い、関東からの引越しを決意した。
よって今後はここ福岡が暮らしの拠点となる。
とは言っても東京を中心に制作の現場や進行中のプロジェクトが幾つか
あるので、月一くらいのペースで首都圏ベースの活動は変わらず続いてゆく。
来週も都内にて仕事の打ち合わせやイベント
「THE PHOTO / BOOKS HUB TOKYO 2012」への出演なども
予定しているので興味のある方はのぞきに来て欲しい。
どうやら表参道に本屋が集結し、賑やかなことになりそうだ。

ここ数日の九州は風が強く、24日には中国内陸部の砂漠地帯で巻き上げられた
黄砂が西風に運ばれ届き、観測された。今年も春が近づいている。

今後の予定だが、4月からはしばらくヨーロッパ北部へ旅立つ。
すでにアシスタントは準備に追われ、駈け回っている。
僕らの春は一旦おあずけだな。
もうしばらく冬空の下を突っ走ったら、戻って来ます。
2012.03.25 Sunday │ Life/Residence
子供たちの今、今日見ておくべきこと
先週も走り抜けるように時間が過ぎていった。
原稿書きや打合せなどが重なる季節は仕方のないことだ。

でも世の中では、大事なニュースが流れていたので見逃すわけにはいかない。
とくに東日本大震災関連では、19日の新聞に震災遺児支援の記事が目に留まった。
読まれた方もいると思うが、建築家・安藤忠雄氏らが「桃・柿育英会」を設立した。
震災遺児を経済支援する基金である。
安藤氏は阪神淡路大震災時にも同名の基金を設立し活動を行った。
桃栗3年、柿8年ということに習い、今度も末永い支援体制を目指すことになるだろう。
文部科学省によれば震災で両親を亡くした子供は岩手、宮城、福島の三県で142人と
言われている。
片親を失った子供も数を加えれば、その数は膨大だ。
親を失った子供にも未来が明るいことを願い応援してゆきたい。

他にも子供達に関するものでは、宮城県の話だったが、津波の恐怖を
味わった子供が最近になり津波の絵を描くケースが増えていたり、
ブロックなどの玩具で遊ぶ子供の遊びでも「津波が来るぞー」といって
ブロックを倒したりといった津波遊びも目立つと聞く。
又、ある女の子の絵によると、最近になりずっと描き続けてきた津波の絵が
前までは真っ黒だったのに、この頃は色が塗られるようになったとの報告もある。
子供達はこうした行為を通し、自ら経験した惨劇のはけ口を「今」探している
のかもしれない。
だから大人は津波遊びをしているからといって、止めるのではなく
むしろ見守ってゆく必要があるように思う。
精神のバランスを失いかけた子供の中で、あたらしい日々が始まろうとしているのだ 。
被災地では依然先の見えない作業もまだまだ続くわけだが、
一方で確実に変化しつつある、ささやかな兆しにもしっかりと目を向けてゆきたい。

週末には海辺で開かれたライブイベント「GREEN ROOM FESTIVAL」に
友人が出演するというので横浜赤煉瓦へ出掛けた。
久しぶりに身体も和らぎ、心地よい午後に風の吹き抜ける海辺で
音楽を聴きながら過ごした。



翌日は新横浜にある観音寺にてチベット密教について学ぶための勉強会に参加した。
主催者や参加者は主に僧侶を中心とする集まりだが、縁あって参加させて
もらうこととなった。
かなり濃密な内容で会は進むのだが、やはり内部からチベットに関わる人々に
とっての宗教観というのは、学門とは違い日々の生活に密接に関わっているため、
チベット仏教の現在を知るための良い機会となった。
今後もこうした寺子屋としての集いには通い続けたいと思っている。

今週に入ってからは今後の制作についての下準備をしている。
いつもそうだが新作に入る前段階が最も時間を費やすことが多く忙しい。
未知の領域を出入りしたいという思いが膨らみ、常々好奇心が湧くものだから尚更だ。
今年も身体だけでなく、意識も随分と旅が長くなりそうだ。

最近興味の中心となりつつある考古学についても、気になることがあまりに
多いため、昨日はついに考古学の学会発表に立ち寄った。
午後には縄文文化の権威である小林達雄氏の講演が行われたのだが、
「劇場空間としての縄文記念物」という主題で古代を巡り、
興味深い話をたくさん聞くことができた。
昨年からフィールドワークを重ねている縄文ランドスケープにも新たな頁が刻まれた。

2011.05.29 Sunday │ Life/Residence
深まる緑と北の声
昨晩は東京・銀座の資生堂にて小説家の柴崎友香さんと対談だった。
お陰様で満員御礼。ご来場下さいました皆様へ、この場を借りて御礼申し上げます。



一夜明け、窓を開けた中庭からは雨と土のにおいが部屋に舞い込んだ。
季節が変わりゆく音をそばで聞いているような朝だ。
この時期の一週間、樹々は生きる速度を早めたかのように、
黙って木の葉をひと回りもふた回りも大きく育てる。

立夏、生き物の先端には力が溢れている。

水は地中から随分と高いところまで、僕らの眠っている間に持ち上げられ、
僕らはその成り行きを今日も見過ごしたまま、思い出したかのように
時々深まってゆく緑を目で追う。
そうやっていつまで経っても、来る季節を植物に遅れて知ってゆく。
どうやら足が在ることと、よそ見がちなことは関係しているみたいだ。
僕らは樹のように生きていた時代から、今は随分とかけ離れた身なりへと
姿を変えてしまったのだろうか。

ところで、ここ一ヶ月blogを書けていなかった。
いや、正確には家に戻っていた日があまりにも少なすぎた。
旅が続いていたのだ。西に東に、北に南に。

特に滞在の続いていた東北には15日間程行っていた。
大震災以来、向こうでの移動距離も既に2500kmを超えた。
中でも福島へ滞在していた数日間は、身体が少し緊張していたように思う。
それは原発によるものというよりかは、(その頃は)まだ
立入禁止区域の制限が今ほど厳しくない時期だったため、
人々の移動が目立ち、落ち着かない日々を送っていた。
出会った老婆や爺さん若者などの中には、大震災以来一度も自宅へ
戻る機会すら持てずにいた人々が多く、一部の人々は
「明日こそは」という思いで意気込んでいた。
噂でも、原発から20km圏内に暮らす人が一時帰宅するために、
非公式に二カ所ほど空いている道があるらしいと耳にした。
その他、ビジネスホテルでは既に避難所を後にした被災者が暮らしており、
ロビーに座っているだけで様々な声が新たな日常を伝えあっていた。
家族を亡くした者の痛みは当然のことながら深い陰を落とし続けている訳だが、
簡単に分け入って分かち合える内容ではないため、
重たい沈黙は横たわったまま時間だけが過ぎていった。
だが、東北にもようやく訪れて来た春の陽気は、
人々を確実に勇気づけているのも事実だ。

どんな時でも希望は眩しく、明るさを振る舞う。
光の存在は大きい。

又、福島滞在中には以前展覧会でお世話になった福島県立美術館の
学芸の方とも出会い、再会を果たすことが出来た。
その喜びは言葉にはなかなか置き換えようがない。
だが彼女がふと口にした、「ここは未だ、被害の底すら打っていない場所なのよ」
と語られた言葉には、返す言葉を一瞬見つけることが出来なかった。
その後も県内各所を車で走り回っていたのだが、原発から
40km圏内辺りまで近づいていた日もあった。
人の姿の少なさが余計に不安を大きくしたものだ。

今春、東北で人々と出会い、語らい、学んだことはたくさんあるが
ここでは書ききれない。
詳しくは別の機会へ改めようと思うが、最新情報の集め方も要点の一つかもしれない。
放射能関連に関しては、地元の新聞が一番役にたったし、
それに加え市民の声も数多く寄せられ誌面に載っているので、
情報が消費されるための粗末な扱いに終わらず、僕らへ届けられている気がした。
大手新聞社とは別の役割あってのことだろうが、こうした町や村単位の
情報を共有することは不可欠だ。
だから最近は、どこでも地方新聞は必ず購読するようにしている。
そう言えば、これは地方紙ではなかったが、4月13日付読売新聞に寄せられた
池澤夏樹氏のメッセージはなかなか良い記事だった。
以下本文より池澤氏の言葉を一部抜粋させて頂くが、
「...つまり、我々は貧しくなるのだ。よき貧しさを構築するのがこれからの課題になる。
これまで我々はあまりに多くを作り、買い、飽きて捨ててきた。
そうしないと経済は回らないと言われてきた。
これからは別のモデルを探さなければならない。」と書かれてあった。
4月半ばと言えば、各雑誌をはじめちょうど著名な方々が
被災地入りを果たし、レポートが続々と挙がっていた頃だった。

GWの頃は秋田にて縄文フィールドワークの続きを再び行った。
季節はちょうど桜満開の頃で、昨年に続き桜吹雪を東北で見ることが叶った。
今頃、桜前線は青森を通過したことだろう。

今週からは久し振りに横浜へ戻って来ているので、溜まっている原稿書きを進めている。
そして、新作の制作準備も始めたい。

旅はまだ続いてゆくし、夏には新しい旅もはじまる。


2011.05.11 Wednesday │ Life/Residence
春までにそれぞれができること
10日間ほど、仕事に合わせ関西へ行っていました。
関東では計画停電や水や食料、放射能の心配もありなかなか落ち着かなかったけれど、
関西は距離があるせいか日常の生活が営まれていて少し落ち着いた気もしたけれど、
東北の人達のことを想像すると気が気ではなかったです。
関西で会った色々な人達と話していてニュースや新聞を見ながら
誰もが被災地の人達に何が出来るか考えていて、
節電や募金をしながら被災地の一刻も早い復興を願っていました。
津田さんも仕事の合間に写真家の赤阪さんやSWITCHの新井さん、
印刷会社の頼もしいお姉さん、ピアニスト、パタゴニアのスタッフなどに会ったりして、
パワーをもらいながらそれぞれのことばに耳を傾けていました。

関西では彼岸桜や梅の花が美しく咲いて春の匂いを漂わせていました。
また滞在中に撮影で行った高山植物園は雪がちらつく寒さだったけれど、
目線を下に落としてよーく見ると雪解け後に春を待ちわびて出てくる
2〜4cmくらいの小さな花達が咲いていて、1年のうち1週間限りの
花を咲かせた後に葉っぱまで姿を消すと言われている、
ヒマラヤ生まれの希少な植物にも出会えました。
ささやかな命の循環に触れていると、次々と生まれてくる生命に希望を感じました。
東北ではまだ雪が降っている様、
どこよりも待ち遠しい春がはやくやってきますように…!

そんな中、津田さんと私はというと、大震災を踏まえ、
いよいよ具体的に動く計画を練っているところです。

2011.03.31 Thursday │ Life/Residence
被災地から届いた花
東北地方太平洋沖地震から一週間が過ぎようとしている。
その間まともに机を前に座ることすら厳しく、日々は過ぎていった。

まずは大震災により被災された多くの皆様へ、
心からお見舞い申し上げます。
被災地ではまだまだ余震が続き、生活に最低限必要な食材ならびに
生活物資すら不足しており、寒さも重なり大変厳しい状況下に
人々は生きていると思います。
胸が詰まりそうになりながらも、一刻も早く救援の手が届くことを
切に願うばかりです。

僕はと言うと、実は地震発生の11日早朝に
東北から戻ったばかりだった。
昨年から続けている縄文フィールドワーク(古代遺跡などを訪れ、
土地から読み取れるものを手掛かりに、この国に宿る信仰の原点を探る旅)
に出掛けていた。
往訪していたのは秋田県北部ならびに男鹿半島。
10日深夜秋田駅からバスに乗り、11日早朝に東京に戻っていた。
地震発生時は暮らしている横浜を移動中だった。
阪神淡路大震災において実家が全壊している経験もあり、揺れに全身が怯えた。
長い横揺れは経験したことのないものだった。
当日は都内の避難所で一夜を明かした。
旅の直後で携帯電話の充電不足もあり電源が落ちてしまい、
連絡をくれているにも関わらず音信不通となってしまったことで
心配を掛けてしまった。
ご連絡頂きました皆様、ご心配をお掛けしました。
僕は無事に暮らしておりますので、ご安心下さい。

その後はとにかく東北の友人達へ連絡を取った。
一本一本繋がる度に生きた心地がして、深呼吸した。
それでも連絡が届かない人もいる。
宮城県、岩手県、福島県…震源地に近い人々の安否をとにかく祈った。

大自然の驚異的な力を思い知る瞬間だった。
自然は美しさを生み出す力を秘めると同時に、
破壊、断絶など厳しい側面を常に孕んでいる。
太平洋プレートと地震の関係性はすでに明らかなものだが、
あらためて地図を広げ、プレート境界に位置するエリアに
日本列島やニュージーランドは重なっている。
さらにニュージーランド列島からフィリピン諸島…シベリア東部…
ロッキー山脈を通り、アンデス山脈から南極半島までをまたぐ
環太平洋火山帯の上に僕達は暮らしている。
歴史的に長く観測されている記録からも我々は
自らの正確な位置を知ることできる。
とはいえ何を身構えれば良いということでもない。
人間はその場その場で互いに助け合い、自然の摂理に従い、
生きる術を身につけてゆく他はない。

まだ各地で余震が続く中、人々は怯えながら暮らしている。
ここ数日は震源地が長野、新潟、茨城、千葉、静岡…と点在することや
計画停電も原因して、関東でも水や電池などの資源が店頭からすでに姿を消している。
横浜でも食材など片寄った状態が続いている。
だが何より被災地に物資が届いているのかが、気が気ではない。
そしてここの明かりを押さえることで、届けられる明かりが
あるならば、我々ができることがわずかでもあることを感じる。

昨日午後にはようやく連絡の取れていなかった岩手の友人から電話が鳴った。
着信画面を一瞬眺め、助かったのだと信じ、電話を受けた。
声は震えていた。懐かしい声だった。
喜びに混じり、悲しみが重なり複雑に心中が揺れた。
すでに実家は津波にさらわれたが家族共々助かったという。
声はつづき、彼女は「今朝、出産したよ」伝えてくれた。
「わたし、強くなったよ」と話す声はさっきよりしっかりと届いた。
夫は東京、両親は宮古に避難中。彼女だけが搬送され盛岡に居るという。
今はそれぞれに生きている状況だが、誰もが希望と寄り添い生きようとしている。

電話を切り、歩いていたらメールが一通届いた。
生まれて間もない赤ん坊の写真だった。
吐息が聞こえそうなくらい大きく開いた口は、まるで咲いた花のように上を向いていた。
数日間の緊張した身体が一瞬で緩み、何度ものぞき込むことしかできなかった。
2011.03.17 Thursday │ Life/Residence
雪の解ける前に 其の二

2月下旬は大阪泉北郡にて正木美術館で開催されていた早春展「墨梅」を観に出掛けた。
美術館はこぢんまりとしているが、素晴らしいコレクションが飾られ、
時空を超えて佇む一作一作と向き合う。
現代に生きる我々が古典に習うべき要素はやはり無限に存在している。
花を主題にしている作品は、咲頃に合わせ足を運ぶと尚楽しめる。
遙か室町時代の掛軸を眺め、正木邸にて抹茶を頂き過ごす午後は束の間の休息であった。

翌晩には堺の主水書房にて「殻のない種から・橋本雅也展」を訪ね、
作家のお話と朗読会に参加した。客には知人もちらほら。
展覧会の詳細については主水書房HPにてご覧頂きたい。
今月13日まで開催とのこと。
関西在住の方は是非訪ねてみて欲しいと願う。
一頭の鹿の死に立ち会った作家が、賜物として命を預かり、
その後洗い清めた骨片が彫刻として形作られるまでを想像しながら…
真っ白な花の彫刻があなたの眼にどう映り込むのかを実感してもらいたい。

翌21日、22日には学生時代にお世話になっていた教授と高野山で待ち合わせた。
目的は昨年旅をしたブータン以来、追い続けている「密教」についての
フィールドワーク。


高野山には今から40年程前にブータンへ研究者として訪れた経験のある僧侶や教授が
おられ先生方を訪ねた。
古き記憶と思いきや当時の光景を鮮明に覚えておられ、貴重な話に花が咲いた。
大いなる収穫に感謝。
帰り道は何とか最終の飛行機に間に合わせ横浜へ戻った。
翌日に雑誌のインタビュー取りが入っており、予定を押すわけにはいかなかった。
許されることならば、身体はもっと山の上に居たかった。
今年は高野山へ幾度か通うことになりそうだ。


25日には「密教」関連で上智大学へ講演を聞きに出た。
講師はフランス国立科学研究センター・研究ディレクター、今枝由郎氏。
チベット仏教経典学の世界的権威であり、ブータン国立図書館顧問として
ブータンに10年あまり暮らした経験を持つ。
講演内容は巷でも耳にすることの多い、ブータンが国を挙げて掲げる
GNH(国民総幸福)についての話を中心に行われた。
さすがに以前ブータンに滞在をされたご経験により、ブータン国内の情報に留まらず、
1980年代当時のインド、ネパール等隣国に関する情勢などにもお詳しく、
裏話も飛びだし、興味深い講演会となった。
幸福という言葉の裏に潜む、もう一つの顔を語って下さったお陰で、
GNH理念の原点を垣間見た気がした。

翌26日には新聞連載が終了したので打ち上げでブータン料理を食べに行った。
代々木上原にある「Gatemo Tabum」という店だが、現地の味さながら唐辛子を
ふんだんに使った激辛料理だが美味しい。
その他ネパール料理なども食べれる素敵なお店。

裏の話題と言えば先週観た映画を一作紹介したい。
中国ではすでに映画制作を禁じられていた、反骨の映画作家ロウ・イエ監督の
最新作「SPRING FEVER」
現代北京を舞台に「春の嵐」により掻き乱された一夜を彷徨うかのような男女五人。
狂おしいほどの欲望と絶望。移ろい、漂う、心と身体。(チラシ本文より)

原稿のことで頭が煮詰まりそうだった午後に、逗子に出掛け映画館で観た。
観終えて、久し振りに歩いた海は潮の匂いに混じって、海藻の香りが漂っていた。
遠くの車は灯台よりも明るいライトを道路に浴びせ、
車同士は異常なほど対向車とオレンジ色を重ね、
そこだけを見ていると太陽が沈んでいない時間のような明るさを放っていた。
明け方まで歩いて過ごしたら、いつ太陽がこのライトを打ち消すのだろうか
と空想しながら、夜の住宅街をぬけ、空っぽに近い電車で帰った。
2011.03.03 Thursday │ Life/Residence
雪が解ける前に

久し振りの更新となってしまった。
その間ずっと出掛けていた訳でもなかったが、意識は随分と遠くまで出掛けていた。
一月、二月は毎年溜った本の山を崩しに掛かるので実はそれも仕業している。
更に先月はパリの友人が帰国していたこともあり再会した。
(以前ユニットで作品を発表したこともある友で、ここ最近時間を見つけて
HPのアーカイブ等を更新した際にリンクに彼のサイトも載せておいたから、
良かったらのぞいてみて欲しい。名をSUZUKI RYOと言う。
僕らがまた一緒に制作する日々が来るのかは僕らにも分からないけれど、
またいつか忘れた頃にと思っている)
彼は以前建築を学んでいた経験から、写真術へのアプローチが独特で面白い。
作品にはいつも「人はいかにして空間を把握してきたか」といった
原点に通じる主題がどこかに隠されている。
進化した姿でまた会いたい。
ついでと言ってはなんだが、一月に東京都写真美術館へ観に行った
「スナップショット展」に出品していた池田宏彦「negev」は素晴らしい作品だった。
RYO君の友達でもあって、いつだったか一度会ったことがある。
こういう人間が制作を続けてゆける環境を社会が支えることを願う。
同じく出品作家には中村ハルコの作品が展示室に並んでいた。
光と人間の眼が美しく、輝いていた。
写真集「光の音」は幾度ページをめくったことだろう。
いつでも読めるようにリビングの書棚に置いている一冊だ。
会期終了間際にはスイッチ・パブリッシング25周年記念ライブイベントが
恵比寿ザ・ガーデンホールで行われ、知人を通じて入れて頂いた。
その晩は亡き中村ハルコの写真作品がスクリーンに投影される中、
ハナレグミこと永積君の歌声が響き渡り、歌は粒子となって僕らに降り注いだ。

二月に入ってからは原稿書きや新作写真集「Storm Last Night」
のことで取材が続いている。
それから遠くからの郵便が良く届く。
手紙は国籍によって匂いが違う。そこがまたいい。
横浜にも雪が降ってからは、春以降の旅の準備、縄文フィールドワーク、
調べごとなどに時間を費やしている。
冬のうちにと思って最近観た映画も一作紹介しておこう。
「春にして君を想う」、フリドリック・トール・フリドリクソン監督。
舞台はアイスランドだが、昨年旅を続けたアイルランドに重ね
映像美に風景をなぞり辿った。

冬の季節は長いと思っているところもあるが、山の雪が解ける前に
片付けておかねばならないことがまだ幾つかあり、今週も動き回ることになりそうだ。
2011.02.22 Tuesday │ Life/Residence
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